ネットが既存産業を殺していく 〜そして欧州型社会へ〜

FPNやらアリエルやらで有名な徳力さんがこんなエントリを書かれていた。一度飲み屋でご一緒させていただいたときは、頭の回転が速い方だなぁと関心した覚えがある。


ネットの進化の速度は速い方が良いか、遅い方が良いか


たいがいのネット上のサービスというのは既存産業と類似のサービスを、格安とか無料とかで提供してしまうような代物なので、既存産業の視点で見ると良いことなんてほとんど無いわけで。仮に技術的には可能な話であっても、既存企業がこれ以上自ら進化の速度を速めようとしようとするとは思えないのが正直なところです。もし、進化の速度が非常に早ければ、単純には多くの人が雇用を失うことになってしまいますから。


ネットの進化により、消費者が支払う費用はコンテンツ(orハードウェア)制作費+広告宣伝費のみに集約され、営業費やその他の間接費用は片っ端から中抜きされて、関連職雇用がずたずたになるという話だが、それって、まずいことなんだろうか*1


ネットによって各種既存産業が破壊され、どんどん「生活必須消費」*2が下がっていく。


そうすると、賃金が変わらない場合は可処分所得が増えて行くことになる。結果、増加分を狙ったビジネスが成長しうるわけで、「低コストでいいものが手にはいる」「しかもどんどん新しいものができて」「困るのは低コスト化の犠牲になった職種の人だけ」という世界が見えてくる。


それって欧州先進国型の社会システムみたいだ


欧州先進国(スイス,モナコみたいな例外除く)中流層の税率がとっても高く、貧困層の税率がびっくりするほど安い。そうやって得られた多額の税金で社会システムが高度に整備され、無料 or 驚くほどの低価格で平等に提供されている。


高度ネット化社会は何でも安くで手に入るから貧困層も苦労しない。富裕層の可処分所得が増えて産業も盛り上がる。でも(ネットや機械による自動化で中抜きされて)産業ごとに儲かる人たちが限られてくるため、多数の産業が乱立し、戦国時代の様相を呈する。結果、上昇志向のある人間は何がなんでも「ネットで中抜きされない」「エンドユーザーの価値そのmのを提供する」場所で結果を出そうと必死になり、上昇志向がない人間は「べつに生活できるしいいじゃん」とチープ革命の恩恵にあずかりどんどん仕事をしなくなる。で、一億総中流層時代が崩壊するというのが予想シナリオだ。


でも、それって別に悪いことじゃないよね? と思う私はアメリカ人ぽい考え方なのだろうか。例えば音楽や映画産業において、消費者の"欲求"の本質は「音楽を聴きたい」「映画を見たい」であって、「CDショップに行きたい*3」「映画館に行きたい」ではない。結果、ネットやら家電やらいろんな技術で「音楽」「映画」のコストを限りなく制作費だけで済むように進化してきたわけだ。きつい言い方かもしれないが、コンテンツ産業におけるコンテンツそのもの以外のコストは消費者の観点からは"必要ない"ものだったのである。"欲求"の本質でない産業が得ていた利益を使って、かわりに他の"欲求"を叶えてくれる産業が興れば、素晴らしい世界になるのではないかと思うのだが。例えそれで沢山の人が職を失うことになったとしても、だ。


勿論のことだが、ネットに限った話ではない。自動車の完全自動走行が可能となれば、世界中からタクシードライバー,バスドライバーが駆逐されることだろう。大量の失業者とともにタクシー代が安くなり、浮いたタクシー代が新産業である「人体の機械化」に投入されるかもしれない。



というわけで
ネット進化でニート激増!
   フェラーリ乗りも激増!

なんて無責任な締め方をしておく。


で、実際欧州の社会システムがどんな結果を生んだかというと、上昇志向あり/なしに二分化され格差が拡大してはいるのだが、「楽してて生活が快適ならそれでいいじゃん」とばかりに上昇志向者率が低下。結果、社会全体の元気が無くなる、というマズい傾向にある国が出始めている模様。 orz

*1:徳力さんはソフト業界の人間として危機感を持っているとのご意見なだけで、まずいという意見を提示しているわけではない。念のため

*2:最低限の衣食住という意味ではなく、現状の生活レベルを維持するために必要な消費という意味

*3:オンライン買いなんて味気ない、やっぱりCDは円盤を買うからいいんだ、なんて反論はなし。そういう人の場合欲求の本質は「円盤が欲しい」であって「音楽が聞きたい」ではない