携帯電話で本当に音声コミュニケーションがしたいのか?
Going My Wayにて「本当に携帯のメールで充分なのか?」なるエントリーが上がっていたのでコメントしたいと思っていたら2日も経ってしまった。
何で携帯のメールを使うんでしょう。始まりは多分携帯の料金が高いから通話するとお金がかかるので、それの節約の意味もあったかもしれません。人は本来話して相手とコミュニケーションをしたかったはずです。
とのくだりで始まり、Skype同士の通話であれば料金の問題が発生しないので、これで解決といった流れです。
で、私としては声を大にして言いたい。
何で使うかって?人と話したくないから使うんです
言われつくされてきた事ではあるが、電子メールでのコミュニケーションはリアルタイム式ではなく、彼我のコミュニケーション可能な時間枠が重なり合わない相手とでも容易にコミュニケートできることが特徴だ。相手側の状況を推測する必要がなく、また返信が必要でないような内容についてでもコミュニケートできることは、"薄い"コミュケーションがしたい状況下においては大変ありがたいものである。
また、PCメールではない携帯電話メールならではのメリットとして、準リアルタイムコミュニケーション(つまりは短時間内でのメール応酬)が可能で、更新内容が完全に秘匿できるという点が挙げられる。携帯電話における通話がマナー違反とされる場所は数多く、年々増加傾向にあるようにも思う。また、よしんばマナー的に問題がない場所であっても、声に出す以上付近の誰かに聞かれる心配は払拭できない。赤裸々な恋人同士の会話や、仕事に関係する会話、声を荒げるような言い争いをしたいとき、喫茶店でコーヒーを飲んでいたらどうするか。こんなとき、やっぱり携帯メールが良いのである。
さらに、メールは1on1でコネクションを占有しないため、複数人とのコミュニケーションを平行して行える事も見逃せない。本命彼女と浮気相手1、浮気相手2、浮気相手候補1、合計5名との半リアルタイムコミュニケーションを続けつつ、友人と喫茶店で談笑することもできるわけだ。うーん、素晴らしい。
最後に、通話では言いづらいような内容でも、文字にすれば伝えやすい場合がある。気恥ずかしい内容は勿論、些細な情報を逐一伝えるような状況などが相当する。私は車好きなので、たまに『今品川にいるんだけど、珍しい黄色のMRスパイダー見つけたっ!』何てメールを車好きの友人に送ったりする。電話を掛けてこんなことを言おうものなら『・・・それだけのために電話してきたの?』という反応が電話口の向こうから伝わってくることは間違いないだろう。
まとめると携帯メールは以下4つのメリットがある。
- "薄い"コミュケーションが可能,気を使わないので楽
- 音声を発しないので場所・内容を問わないコミュニケーションが可能
- リアルタイム式ではないので多人数並行通話が可能
- 相手が親密な間柄でも"薄い"コミュケーションが求められる状況は多い
対する音声通話はというと、相手の声が聞こえること、リアルタイム双方向通信であること、単位時間あたりで交換できる情報量が多いことあたりしかメリットがないように思う。音声通話が苦手なシチュエーションを沢山カバーしているため、冒頭に戻って「携帯電話のメール機能に満足しているか?」と問われれば「満足もなにも携帯メールでしかできないコミュニケーションのために使っているんです、この状況下で音声通話じゃだめなんです」と答えざるをえないのである。
さて、話はここで終わらない。
昨今の若年層においては、携帯電話メールですら"濃い"コミュニケーションと疎まれつつあり、さらなる"薄い"コミュニケーションツールとして、Blog,SNSが活用されているというのである。
C子:パケホにしてからはブログばっかりだよね。
記者:パケット通信で使いのはメールじゃなくてブログ?
C子:メールは1対1で、来たら返事を書かなくちゃいけないから面倒。いろんな人のブログを見るのが楽しい。クラスの女子のホムペ(ホームページの略)とか男子のホムペとか。気になると書き込む。
A子:朝起きたらすぐブログ見て、学校江見て、寝る前にも見る。私は個別のホムペに3つ日記を書いてる。パケホにする前に今みたいな使い方したら月に20万とかになるから、我慢してた。今はブログし放題。だから電池がすぐになくなる。
日経ビジネス2006年1月16日号より引用。渋谷の女子高校生に、いまどきの携帯の使い方をインタビューした記事である。
なるほど確かにメールは非リアルタイムとはいえ1対1のコミュニケーションであることに変わりはなく、自らに向けて発されたメールを無視するわけにはいかない。少なくとも24時間以内ぐらいには返信したい。
そこで各自がBlogで思い思いの情報を発信し、友人達が思い思いのタイミングでBlogを閲覧し、反応したいと思ったらコメントを残すというわけ。なるほどこうすれば、自らのコミュニケーションしたいというアクションによって、友人なりの誰かがリアクションを強制されることはほぼ無くなる。
何て薄いコミュニケーションなんだ、こんなコミュニケーションしかできない子供達が大人になったらコミュニケーション能力欠如で問題になるんじゃないか!と、警鐘を鳴らす大人たちがぞろぞろ出て来そうだ。
個人的にはこれが現代風コミュニケーション手法であり、薄い薄い関係を広くあまねく広げてネットワークを作り、そのネットワークを隅々まで活用して生き抜いていくのがWebコミュニケーション世代の人間なんじゃぁないかと考えている。
旧世代のコミュニケーション術が深く少なくであったのに対し、浅く広くなるだけのことであって、Web2.0的に「浅く、びっくりするほど広く」なれば、人類は進化したと言えるようになるかもしれない。
....なんてのはちょっと言いすぎか。
(3/27追記)「大西宏のマーケティングエッセンス」にて、「ケータイブログ世代」なるエントリが3/9に上がっていた模様。かなり近い内容を大西さんなりに斬っておられるのでTB。
彼女たちにとってのブログは、きっと学校の友だち、また出会った友だちたちに、自分自身を知らせ、また日々どのようなことが起こったのかを知らせあう「交換日記」なのだと思います。
女子高校生のケータイブログを「交換日記」と形容しているあたりが面白い。ケータイブログ世代が新しいコミュニケーションの可能性を広げるのでは、と締めておられる。で、私はこの可能性について、「浅く・びっくりするほど広く」なってゆくのでは?と思う次第なのである。