「あちら側の人」の思想はリバタリアニズム、「こちら側の人」はコミュニタリアニズム!?


昨日のエントリ『「知の世界の再構成」が為される「ブログと総表現社会」で人類はボーグ化する!?』、あまり学術的なことやお仕事的なことを考えず、なんとなーくこんな世界とかあるんじゃない?的な軽い考察のアウトプットメモとして書いたものだったが、当の梅田さんにBookmarkして頂いたようなので少しはまじめに補足しておかないとお叱りを受けそうだ。

ちょっと真面目な言葉で書こう。マスメディアに代表される「一部の人によって(トリガーはお金かもしれないし権力かもしれないが)コントロールされるメディア」を「国家」と読み替えれば、先のエントリで「ボーグ化する人々」「考えなくなる人々」と括った人々の思想は、コミュニタリアニズム(共同体主義)であると言えなくもない。そして、2006/03現在のWeb2.0コミュニティとそれを活用している個人の思考は多分に「リバタリアニズム」に寄っており、相容れないものである予感がする。

以下、コミュニタリアニズムについての引用。

共同体主義(きょうどうたいしゅぎ、コミュニタリアニズム、英:communitarianism)は、20世紀後半のアメリカを中心に発展してきた共同体(コミュニティ)の価値を重んじる政治思想。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93%E4%B8%BB%E7%BE%A9

人間は共同体の中で人格を形成し、共通の善が何であるかを学んでいく存在であることを強調する思想。
http://learning.xrea.jp/%A5%B3%A5%DF%A5%E5%A5%CB%A5%BF%A5%EA%A5%A2%A5%CB%A5%BA%A5%E0.html

続いてWikipediaリバタリアニズム項から引用。

リバタリアニズム(英:libertarianism、自由至上主義)とは、各個人の自由を最大限尊重し、絶対的自由を損なう国家を廃止またはその機能を最小限化することを主張する思想。経済的には市場原理に任せれば富の再分配が自動的に行われ、安定した社会が成立すると唱える(→ノージックフリードマン)。アメリカを中心に程度の差はあるが根強い支持を持つ。
Wikipedia-J「リバタリアニズム」項

個人の自由を尊重する立場としては、元来リベラリズムという用語があるが、この語は社会的公正を志向するがゆえに国家による再配分を肯定する緩やかな社会民主主義という意味合いで使われるようになってきたことから、国家からの個人と経済の絶対的自由を追求する言葉としてリバタリアニズムという用語が使われるようになった。<中略>
なお、リベラル側はリバタリアニズムに対して貧富差の拡大により、階層の固定化・社会の不安定化・不公平を招き、また、財界・大企業による専制により市民の自由を損なうとして批判する。
Wikipedia-J「リバタリアニズム」項

富の再配分って最近何かの本で読んだなぁ、と思うのは私だけではあるまい。さらに、梅田さんはここの所「個のエンパワーメント」についてBlogで触れて来られた。『Web2.0を活用して個をエンパワーメントさせる者達』が増えてきている、という内容だ。彼らの存在・思想・行動が「(情報の)貧富差の拡大」「快走の固定化」「不安定(はてなユーザとYahooコミュニティユーザの衝突?)」「不公平(ディジタルデバイド?)」を招くという可能性はないだろうか。


私は、既にその兆しは出ていると思う。問題は、彼ら「あちら側の者達」と「あちら側に行けなかった/行くことを拒否した 者達」との間で今後どのような事態が起こりうるか、だろう。

私はこの筋の専門家ではないし、発言に責任を持てる立場でもない。という前置きで逃げを打っておきつつ意見を述べると、完全な二極化が進むだろうと考える。知る者と知らざる者の間のギャップは広がるばかりとなり、「情報化社会における勝ち組と負け組み」がはっきりしてくる、という予想だ*1。もっとも、現実世界におけるリアルな貨幣と違って、あちら側に行こうという強い意思とキレる頭があれば、負け組みからの這い上がりは迅速かつ簡単に行われるだろう。そして負け組みはコミュニタリアニズムの渦に飲み込まれてゆく。

かくしてマスメディアは「あちら側に行けなかった/行くことを拒否した 者達」にスコープを定めた商売に徹し、「あちら側の者達」は彼らのネットワークの中で生きる、という二極化が顕在化する...というシナリオが出来上がる。

大衆の生活をテクノロジーで潤す事を生業とする家電メーカーの一社員として、この仮説に対してどう動いていくか、大変に考えさせられる。といっても結論は一つしかない。二極化を阻むため、みんなが簡単便利にあちら側の資産を活用できる商品を作り出して行く事、である。難しいのは「どうやるか」だ。さて、それは明日会社で考える事にしよう。それが私のミッションなのだから。




おまけ

経済面では、個人の経済活動の自由を実現するため、市場による代替的な供給が可能なあらゆる財への国家による関与を否定する(公共事業・財政政策の廃止、累進税率廃止、都市計画反対、貨幣発行の自由化など)。

また、他者からの不可侵が保障されるべき自由は人身所有権のみであるということから、それ以外のいわゆる「新しい人権」(名誉権、環境権、プライバシー権など)は人権として認められない。他者の人格批判なども一切公権力による取締りの対象とはならないが、自生的な秩序としてそのような悪趣味な行為が非難の対象となる社会が形成されるだろうというのがリバタリアンの考えである。
Wikipedia-J「リバタリアニズム」項

赤字部分とネットコミュニティ(『Web進化論』ではWikipediaの例)の自浄作用は、何か大変に近いものを感じる。やっぱりWeb2.0 Person = リバタリアニズム思想 なのかなぁ。

*1:勝ち組、負け組みという言葉は大変嫌いなのだが、まぁ一般的にわかりやすい言葉なので唇をかみ締めながら我慢して使うことにする