挨拶できない人はどうして損をするのか?
はてブ経由で「1000枚のコピー用紙」なるエントリを読んだ。自ら塾を開業した塾講師のコメントだが、ずしりと響くいい言葉だ。こういう"先生"は塾よりも学校に居てほしいと思うのは私だけだろうか。
http://plaza.rakuten.co.jp/kuwaharajyuku/diary/200605120000/
で、これを読んで思わずコメントを残したのが『でも、挨拶しないことでコピー用紙がなんで減るのか?ってのが中高生のころはわかんねーんだよなー』という内容。中学〜高校時代、体育教師あたりが「挨拶」「挨拶!」とうるさく言う。彼らから発せられる暑苦しいまでの『おうっ!おっはようっ!(ウホっ』てな挨拶を朝から聞かされるだけでテンションダダ下がりになる毎日だったことを今でも覚えている。別に挨拶をしないことで中高校生活が微塵も不自由になると思ったことはないし、むしろ挨拶を無理にしたほうが煙たがられる環境だったように思う。それはひとえに、学校という環境がClosedなものだからであろう。教師も固定、学生も固定、みんな知り合いで毎日同じ場所に篭って予定通りの生活をしている状態は、挨拶によって何かが変わるものではなかった。
大学に入るとClosedな環境から開放され、趣味や仕事(バイト)を基点に社会人をはじめとするさまざまな人たちとコミュニケーションを取るようになった。そうすると、自然に挨拶をするようになってきた。そして社会人となり、ついに挨拶の重要性に開眼したのである。
エントリ元の先生には申し訳ないが、学校という閉じられた空間では、挨拶はあまり深い意味を持たない。だが、社会に出るなどしてひとたび「希薄な人間関係をたくさんの人と持つ」必要性が発生すると*1、それらたくさんの人に対し『自分をアピる』『より多くの人との親密な人間関係を維持する』必要が出てくるわけだ。
このあたり、以前のエントリで述べたように、多数の女性(男性)に対してアプローチを怠らなかった事によってオイシイ目を見てきた男性(女性)には非常に理解しやすい事であろう。
合コンの例と体育教師の例、そして社会人としての話は、それぞれ実に深いレベルで関係していると思う。合コンでちょっと喋って便宜的にアドレス交換した程度の相手に、3ヶ月連絡しなかったらどうなるだろう?普通『あんた誰だっけ?』状態になること必至である。仕事でも同じで、ちょっと会議で名刺交換しただけの相手のことなど、例え同じ会社の人間でもすぐに忘れ去ってしまう。が、ちょっと廊下ですれ違ったときに『ども、おはようございます』と一言挨拶をするだけで、記憶残留時間を延長することができるのである。これは合コンの場合でも同じだ。コンパ直後に一度『昨日たのしかったね、また連絡するね』とだけ連絡しておいて、あとは月に1度から2度程度ちょっとした近況報告でもしていれば、その娘とのパイプを維持することができる。あるとき合コンしたくなったら、すぐに連絡すればいいのだ。『そういやぁ今度久しぶりにまた合コンしない?』と。仕事の例では『ご無沙汰しております、△△です。唐突ですみませんがそちらの部署で●●に強い方って居られませんでしょうか?』と切り出すわけだ。合コンの例で「1ヶ月に1,2度の連絡」と書いた部分は、仕事においては簡単な状況報告であったりすることもある。相手が社外の方である場合は、飲み会などにお誘いするのもいいだろう。
だが、やりすぎは禁物だ。合コンで知り合った女の子と親しくなったからといって、毎朝『おはよう●●ちゃん、今日の僕の朝ごはんはコーヒーと●●屋のクロワッサンさ〜♪』なんてメールを毎日送られたら、よほどの好意がない限りはブチ切れる。これは体育教師の挨拶に辟易していた私の例と同じだ。社外取引先に毎月のように飲み会のお誘いを投げるわけにもいくまい。
そして、全てに共通するのが「どうせおんなじ挨拶するなら印象よく」するべきであるということだ。かるく会釈だけして通り過ぎるべき状況なのか、おはよう○○さんまで言い切るべき状況なのかを都度判断し、自己評価を上げていく。相手が自分のことを忘れてそうな状況が推測されるならば名前付きで挨拶すべきだし、毎日会ってる人なら会釈+αで十分だ。
私なんかは明らかにファッションからして不真面目社員そのものなので、そのあたりは特に気を使っている。そうやってうまくコネクションを繋ぎつつキャラアピールしていくことで「ああこいつは社会人にあるまじき茶髪ロン毛にピアス付き,ウェスタンブーツ履いて会社にきているような奴だが、コミュニケーションについてはきちんとできるやつなんだな。そして確か彼の得意分野は●●で、今は△△のプロジェクトをやってるんだったな。もし●●の分野に絡むことがあったら彼に相談してみよう」と思わせ続けることが、社会人における挨拶の重要性なのである。
と、私は思う。で、高校時代を回想すると、こういうテクを身につけられるよう仕込みをかけるべく教師陣は頑張っていたのだろうが....。ああいうClosedな環境ではいつまでたってもわかりっこいないなぁと思う次第である。ま、今の学生はmixiやオンラインゲームというフィールドを活用しつつ、そういったコネクションの重要性を自宅で少しづつ感じていると思うので、問題ないとは思うのだが。